20th century super sounds 20世紀のスーパーサウンズ
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ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)




グレート・ダスト・ストーム(The Great Dust Storm)
住む家がない(I ain't got no home)
トーキング・ダストボウル・ブルース(ダストボウルの語り歌)
自警団の男(Vigilante Man)
肺炎のブルース(Dust Pneumonia Blues)
絶対泣き寝入りなんかせんぞ(Blowing Down That Old Dusty Road)
トム・ジョード(Tom Joad,)Part One
トム・ジョード(Tom Joad,)Part Two
ダストボウル難民(Dust Bowl Refugee)
ダストボウル・ブルース(Dust Bowl Blues)
ダスティ・オールド・ダスト(Dusty Old Dust)
ドレミ(Do Re Mi)
オクラホマ・ヒルズ(Oklahoma Hills)
この国は君の国(This Land Is Your Land)







ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)をアメリカの国民詩人と定義したのは日本人である村上春樹だ。(国民詩人としてのウディ・ガスリー:意味がなければスイングはない)

当のアメリカ人は、ウディ・ガスリーをプロテストソングのチャンピオンとして、またアメリカン・フォークソングの父としてとらえているようだ。1950年代以降に出現したアメリカのフォークシンガーたちは、ほとんど例外なくウディ・ガスリーに影響されている。アメリカン・フォークソングがややもすればプロテストソングと同義語のように言われるのも、ウディの影響があまりにも大きいことの結果だ。

ウディ・ガスリーは生まれつき反抗的な人間だったわけではない。むしろ気の弱い、従順な子供だった。父親と離婚した母親がハンチントン病と云う難病にかかり、自分の感情をコントロールできなかったために、息子のウディに理不尽な暴力を加えた。ウディはそんな母親に対して、愛情と恐れの入り混じった感情で接せざるをえなかった。いずれにせよ彼は不幸な子供として人生をスタートしたのだったが、だからといって、皮肉れたりとか、反抗的であったことはない。

ウディ・ガスリーをプロテストに結びつけたものは、彼の内的な性格と云うよりは、外的な事情だった。

ウディが17歳の時に、アメリカは大恐慌に突入した。だから彼の青年期は、暗い時代環境のなかで過ぎた。そんな暗い時代を、多感なウディは不安そうに生きた。

1935年、ウディが23歳の時に、ウディの暮らしていたオクラホマがダストボウルと呼ばれる強烈な砂嵐に見舞われた。砂嵐はオクラホマじゅうの農園を砂で覆い尽くした。続いてイナゴの大群が襲ってきて、わずかに残った農作物をすべて食い荒らしていった。

ウディの周辺で暮らしていた人々は、ことごとく家や農場を売り払って、新しい天地を求め、カリフォルニアへと移住していった。だがそんな彼らを待っていたのは、非常に過酷な運命だった。ジョン・スタインベックが「怒りの葡萄」のなかで描いたのとまったく同じ運命が、ウディの知り合いたちに襲いかかってきたのだった。

ウディも、カリフォルニアに旅立つ人々に随伴して、故郷のオクラホマを捨てた。だがウディは別に、金や生活に困っていたわけではなかった。故郷を捨ててカリフォルニアを目指す人々を見ていると、自分もまたそうしなければ申し訳ないような衝動に駆られただけなのだった。

オクラホマを出発した時、ウディにはすでに妻子がいた。しかしウディがその妻子の生活を本気になって心配した形跡はない。捨てられた妻子は自分たちの力だけで生きていかなければならなかった。

ウディは生前、あまり多くのレコーディングを行ってはいない。その中で今でも聞かれている代表作は、「ダストボウル・バラッズ」と題したLPだ。収められた12曲のいずれもが、オクラホマを襲ったダストボウルのすさまじさと、それに翻弄される人々の嘆きを歌っている。その歌詞とメロディとが、おのずからプロテストソングとしての内実を感じさせるのだ。

このLPは、アメリカの音楽市場では長らく無視され続けてきたが、一部のミュージシャンからは熱狂的に支持されてきた。ボブ・ディランもその一人だ。

ウディ・ガスリーほど評価の別れるミュージシャンはいないだろう。進歩的な人々からはアメリカの良心として敬愛される一方、保守的な人々からはアカの屑としてさげすまれる。実際ウディは、アメリカ共産党の一員として自負していたのであるが、正統派の共産党員の目からすれば、ふしだらな生活に沈殿するだらしのない日和見主義者にすぎなかった。

1940年代後半になると、ウディにも母親と同じハンチントン病の兆候が現れはじめ、1950年代なかば以降は、入退院を繰り返しながら次第に廃人となっていった。そして1967年、46歳の時に死んだ。

ここではLP「ダストボウル・バラッズ」に収められた12曲について、歌詞の日本語訳と原文を掲載する。併せて、This land is your land など、彼の名に結びついた曲をいくつか紹介したい。


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