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エルヴィス・プレスリー:歌詞の和訳と解説


エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)は、アメリカン・ロックンロールのスーパースターである。1950年代半ばのアメリカに彗星のように現れ、ハードロック調のナウな曲を歌って世界中を熱狂させた。その人気の波は日本にも押し寄せ、まだ幼かった小生のようなものも、「ハートブレイク・ホテル」や「ハウンドドッグ」といったハイ・ビートな曲を、下手なセリフ回しでうたったものである。なにしろ日本中にエルヴィスの曲が流れていたのである。

エルヴィスの絶頂期は、1958年から60年までの二年間の兵役をはさんで、1956年から1963年までの短い期間だったが、その間に数多くのロックンロール・ミュージックを歌う傍ら、「ラヴ・ミー・テンダー」のようなバラード調の歌でも人気を博した。

エルヴィス・プレスリーの兵役は、西ドイツの米軍部隊への配属という形をとったが、兵役中にも人気は衰えず、かえってその愛国心を賞賛されたものだった。兵役から復帰すると、兵隊生活を彷彿させる「GIブルース」を歌って、世界中をうならせた。小生も、子どもながら夢中になったものである。

ところがエルヴィスは、1963年に突然スランプに見舞われてしまった。原因はハッキリしないが、幼な妻のプリシラとの結婚生活がうまくいかなかったことも影響していると考えられている。プリシラとは、1967年に離婚し、そこでサバサバした境遇になったことで、1968年にカムバックを果たした。カムバック後のエルヴィスは、主にラス・ヴェガスを舞台にして、大規模なライブ・コンサートを頻繁に催した。すでに中年男になっていたが、今では伝説となった派手な衣装を着て、年甲斐もなく、舞台の上を跳ねまわったものだ。そんなエルヴィスに、アメリカはもとより世界中のエルヴィス・ファンが感激したものである。

エルヴィス・プレスリーは、1972年に42歳で死んだ。スーパースターの死としては寂しい死にざまだったようである。過密なスケジュールや、過剰な薬物接種で、健康を害していたのが原因だったようだ。

エルヴィスの人気は死後も衰えなかった。さまざまに形を変えて、多くのアルバムが制作され、また、映画もDVD化された。死後なお人気を誇る歌手は、そう多いものではない。エルヴィス・プレスリーがいかに人々に愛されていたか、わかろうというものである。


ハート・ブレイク・ホテル Heartbreak Hotel:エルヴィス・プレスリー

ハウンド・ドッグ Hound Dog :エルヴィス・プレスリー


愛してほしい Don't Be Cruel:エルヴィス・プレスリー

ラヴ・ミー・テンダー Love Me Tender :エルヴィス・プレスリー

とっても Too Much:エルヴィス・プレスリー

しびれるぜ All Shook Up:エルヴィス・プレスリー

テディベア Teddy Bear:エルヴィス・プレスリー

監獄ロック Jailhouse Rock:エルヴィス・プレスリー

すました女 Hard Headed Woman:エルヴィス・プレスリー

つんつんするなよ A Big Hunk O' Love :エルヴィス・プレスリー

ぼくはそんなお人よし A Fool Such as I:エルヴィス・プレスリー

君に首ったけ Stuck On You :エルヴィス・プレスリー

さあたったいま It's Now Or Never :エルヴィス・プレスリー

今夜はひとりかい? Are You Lonesome Tonight :エルヴィス・プレスリー

サレンダー Surrender :エルヴィス・プレスリー

G.I. Blues:エルヴィス・プレスリー

好きでたまらない Can't Help Falling in Love :エルヴィス・プレスリー

リターン・トゥ・センダー(Return To Sender):エルヴィス・プレスリー

サスピシャス・マインズ(Suspicious Minds):エルヴィス・プレスリー





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